「ローマの休日」を吹き替えで観る

 昨晩録画しておいた「ローマの休日」を観た。

 なぜ、こんな何回も観てるような作品を今更録画してまで観たのかというと吹き替えが1972年当時の古い物だから。 今DVDに収録されているのは1993年頃に収録された物で聞き比べるとグレゴリー・ペック役の故・城達也氏の声はそうでもなく聞こえるけど、やはりオードリー役の池田昌子の声が圧倒的に若くていい!

 95年頃に池田昌子が「徹子の部屋」で「ローマの休日」の吹き替えについて話してたとき、何回も収録していてつい最近もやった(これがDVDにも収録されているビデオ版の事)と。城達也氏が亡くなった事へのお悔やみなど交えつつご自身で「『ローマの休日』に限定して言えばあの吹き替えは演技力よりも若さが大事」と言ってました。

 もう一つ重要なのは王女の髪を切る美容師が「広川太一郎」であること。日本人だけがあの美容師に対して「オカマっぽい」というイメージを持ってると言われます。字幕で観ると分かるんですが彼はいかにもイタリアっぽい伊達男で別にオカマではありません。では「オカマ」なイメージはどこから来ているのか?答えは簡単「広川太一郎」が「あ〜らすてきな髪」とか「(髪を切って)よろしんざんすか?」とかそう演じてたからです。(ちなみにDVDの吹き替えは山寺宏一氏がオリジナルに結構忠実なイメージでやられています)

極めつけは髪を切るたびに言う一言!オリジナルは切る度に「cut、cut、cut」と言ってますけど広川太一郎大先生は都合3回切る時に「バッサリ、又バッサリ、またまたバッサリ」と飛ばしてくれます。いや〜さすがだ!でも今回の放送は広川であったのに又、とかまたまたとは言ってなかった。昔日曜洋画劇場で録画してた物の方がよりオカマぽかったので、やる度に微妙に変えてたこともわかって面白かった。

 そして個人的に気に入ってるのは昔の方が全体的に言葉がきれいという事と、翻訳の工夫のすばらしさ。いかに「日本語」に直すか頭使っているな〜と思う箇所が「願いの壁」のシーン。神聖な場所という意味で「神社みたい」と例えてみたり、隠し撮りした写真を現像するためにカメラマンを先に帰すその言い訳がDVDは字幕も吹き替えも「ミスターゲンゾウと仕事がある」になってますけど昨晩のは「因果な商売で焼く仕事があるんだろ」となってます。先にこれが刷り込まれていたのでビデオ版で「ミスターゲンゾウ」を初めて聞いたときには翻訳者が馬鹿になったのかと思いましたよ。(分かり易いんですけどね)

でも今は印画紙なんて言葉聞くこともないですし、デジカメ全盛でプリントとは言うけどヘタすれば「現像」や「焼き増し」なんて言葉も死語に近いかもと思うと、今後「ミスターゲンゾウ」すら理解できない世代が出てくるかも知れない。その世代が収録し直すとこの言葉はどうなるのかな?などと余計な事も考えてみました。(先に書いた、昔録画した日曜洋画劇場版はいつの吹き替えかしりませんが、微妙にキャストや単語は違いますが上記の部分や全体的な訳はほとんど同じ物です)

 時々「名作と言うけど今観るとただの少女マンガじゃん」と難癖つける人もいますけど構成や演出を考えるに、昭和20年代の映画の割にカット数が今風に細かくテンポよく観られるのも時代を感じさせない要因です。そして終盤まで細かいカット割りでテンポよく進めているのに、クライマックスの記者会見のシーンでは極端にカット数が減り長回しが多くなります。特にラストカットのグレゴリー・ペックのトラックバックの長回し1カットは共に観客もオードリーのイメージを思い返して余韻に浸れる最高のエンディングでこれは演出の勝利ですよ。

 TV版は放送時間の関係でグレゴリー・ペックがローマに嫌気がさしていて、なんとか国に帰りたくて一発当てて金を稼ぎたい、という王女につきまとう動機のくだりが全体からカットされてる為に、最後の記事を売らないことにする決断がただの甘ちゃんでちょっといい思いしたアメリカ人記者、という印象もありますけど、とにかく誰が何言ったって50年以上も前の作品が今だにTVで放映される事自体が凄いことなんだし、名作は名作なんだよ!と断言しておこう。

2005.12/25UP


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